ひさコラム「女の子なんだから・・・」って言わないで―ジェンダー視点から

子育ての中で「女の子なんだから」「男の子なんだから」って言葉、なにげなく使ってませんか?この言葉が次世代に私たちがもっている「男性」「女性」という性差を当然のように思い込ませる一番の毒薬なんです。

そもそもジェンダーとは社会的性差を意味していて、チ○コがついているか否かの生物学的性差(セックス)と対比的に使われる言葉です。社会的性差ですから、先天的なものではなく、後天的にその置かれた社会の中で他者との相互作用の中で構築されるものと理解されています。すぐこういう話しをするとフェミニストだ!と言われがちですが、フェミニストにもいろいろな立場があるし(マルクスフェミニズムとか)、そもそもジェンダーとフェミニズムをどうも人々はいっしょくたんにして、ラディカル思考の怖い人たちとみなしがちです。私はジェンダー研究に嫌気がさして脱国してきた身なので、一般的フェミニストではないです。ただ、子育てする中で、いろいろと考える事があるので、今回は少しジェンダーについてお話しします。

そもそも、ジェンダーは後天的にあとから作られるものであるから、政治的に恣意的に作られたものがけっこうあります。ジェンダー論はその中でも不合理であったり不都合であるものを是正しようという考えが根底にあります。人々が「当たり前なこと」として疑問視しない物事の中に、たくさん潜んでいるからです。

たとえば婚姻後の姓について。民法には婚姻後はどちらかの姓を名乗ることが謳われていますが、世の中の98%くらいの婚姻において男性の姓を名乗ります。法律的には中立を謳っているのですが、実社会ではパワーバランスがかなり色濃く作用しているのです。小さい頃から女子は好きな男子の苗字に自分の名前を入れてにやついたものです。好きな男子の姓になることが結婚であり、それが望む事であるというなんの根拠もないのに「文化」みたいに語られて、人々はそれを当たり前と思って生活している。そう、こうやってジェンダー化されていくのです。

色もそう。ピンクや赤は女子の色。青や緑は男子の色。ドイツでも恐ろしいほど子ども服やランドセルにステレオタイプな色づかいをしているのにはげんなりします。私はなるべく子育ての中でニュートラルに色を使おうとしていますが、親が子どもに与える影響は微々たるもの。幼稚園でどっぷり文化的男女の差異を身につけてきます。紫の洋服を買ってきたら「女の子の色だから着たくない」と言われたときにはがっくり。。。「日本ではね、お坊さんが着る紫は一番かっこいい、高貴な色なんだから!」と不甲斐なく怒鳴ってしまったほどです。

イギリスの女性作家であるバージニア・ウルフは、こんな名言を残しました。

女性はここ数百年もの間、男性の姿を実際の大きさの二倍にうつす魔力を持った鏡の役割をしてきた。(「実際の大きさの二倍にうつす」とは、「実際より2倍偉いようにうつす」こと)Virginia Woolf(イギリスの女性小説家)

女性はジェンダー化される中で自分自身を過小評価してしまう傾向にあることを彼女は問題視しています。この言葉からもわかるように、男性を大きくうつす鏡の役割をしてしまっているのです。「女の子だから○○○なのよ」という育児の中での何気ない言葉が、女子が自分自身のアイデンティティの確立にじわじわ影響を与えてしまうのです。すごいチャンスがまわってきても「私にはできないかも」と自らそのチャンスを放棄してしまう傾向にあるとウルフはいっています。

親が子どもの可能性を無意識にむしりとることに荷担するのはどうでしょうか?子育て中の言葉には気をつけたいものです。

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