ヒサコラム ドイツの幼稚園で思うこと〜現場のフレキシブルな対応〜

またまた行ってきました、幼稚園の父母会。前回は19時スタートで、家でだれかが子どもの面倒をみることが前提でした。参加したくても出来ない父母が、園長先生に「参加したいけれど、子どもの面倒を見てくれる人がいないので参加できない」旨を伝えたところ、同じ問題を抱えた人たちがいたそうで、なんと今回からは父母会開始時間が、16時30分(幼稚園の最終お迎え時間)に変更になりました。もちろん、無料での保育サービス付き!子どもはそのまま幼稚園に残って、お庭で遊ぶ事ができ、軽い夕食も用意されました。兄弟のお兄ちゃんお姉ちゃんも一緒に預けられていたので、子どもたちは相当楽しかったようです。この時間変更のおかげか、若干参加者人数が増えたように思いました。父母会の内容については、別の紙面に譲るとして、この父母会の開催変更に関して少し注目したいのです。

そう、この国では言ったもの勝ちというか、思った事を相手にきちんと言葉で伝える傾向にあります。人に自分の不便さを悟って欲しいという婉曲的でまどろっこしい言動は、日本では美的でさえありますが、この国では無意味です。日本のように相手の望んでいる事を、事前に察知して先回りして動くというような精神文化がないからです。

 ここで私がいいたいのは、日本の美徳な婉曲的表現の賛美でもなく、配慮のないドイツ人への罵倒でもありません。むしろ、ドイツ人の身近な人々への「フレキシブルで迅速な対応」について注目し、私の独断で話しをしたいと思います。

 昨年、1歳児のうちの子どもは、週35時間という保育の席をもらっていました。しかし、今年の4月から私の学校の都合でどうしてもお迎えの時間に支障がでてしまうという旨を園長先生に伝えました。すると、ぜひ私の学業を応援したいとおっしゃられ、4月から週45時間の席を確保してくれました。たまたまいろんな偶然も重なったために、そのようなポジティブなお返事を頂いたにせよ、この「身内」へのフレキシブルな対応には感動すら覚えました。実際に数週間後、正式な契約変更書にサインをすることができたのです。

 ここデュッセルドルフでは、幼稚園の席を貰うのは至難の業で、宝くじに当たるようなものと言われてきました。うちの子どもたちが通っている幼稚園では昨年30人ほどの園児枠に300件以上の応募が殺到したそうです。特に3歳以下の枠は非常に少なく、メルケル首相の公約(幼稚園に行かせたい人はみな席が貰えるというもの)は、家であかちゃんの育児をしている親にお金を支給するという制度(Betreuungsgeld)でなんとなくごまかされたまま。そのため、宝くじにはずれ、幼稚園に子どもの席を貰えなかった、働きたい/勉強をしたいという親たちは、仕方なく高い私立幼稚園に入れ、公立(キリスト教系等も含む認可保育)の幼稚園の空き情報をママたちで交換しながら、入れるのを待つのが常です。席をもらったママたちが言うのは、「メールや電話ではなく、直接行くべき」「知り合いがいることをアピールすべき」「もし電話なら、何度も何度もかけて、引越しなどで空きがでないかを常に確認すべき」といったことを言います。この背景にあるのは、少ない枠を誰にあげるかという時に、少しでも情がある人にあげるという傾向にある文化背景だと思います。だから、直接話しをすることや知り合いがいるこをアピールすることで情に訴えるのです。

 長男のときには、なかなか公立幼稚園の枠がもらえず、私立にいれたり、保育ママ(Tagesmutter)に預けたりと苦労しましたが、次男のときは兄弟枠の強みで席を3歳以下でも確保でき、さらには長い保育時間への変更といったフレキシブルな対応をうけました。幼稚園の席をもらう長男と次男の時で、まったく違う対応をだったので、戸惑いを抱いたほどです。

 そう、この戸惑いの裏にあるモノが、どんなルールよりも、優先されるモノなのです。それはなにか。それは現場が権限を持って、フレキシブルに対応し、判断できる仕組みだと思います。人と人との繋がりの中にある現場でのルール。それはコネとは別の次元で作用する現場のフレキシブルな対応可能性なのです。ドイツ人は道徳観念が希薄で、あらかじめ決められたトップダウン的ルールのみを遵守するという私の抱くドイツ人像は、いい意味でみごとに裏切られました。これを機ににドイツでの子育ても捨てたもんじゃないなと、思い直しました。

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