歴史を学んで旅に出ようーvol.2 ドイツ/ベルリン

歴史を学んで旅に出ようーvol.2 ドイツ/ベルリン

ベルリン5

「ドイツ観光」といえば、可愛らしい木組みの家、城壁や古城など中世の面影を残す町が人気ですね。しかし、歴史好きとしてお勧めするのは、なんといっても首都『ベルリン』です。

ナチスドイツの第三帝国の首都であったゆえに、第二次世界大戦では空襲や激しい地上戦で徹底的に破壊され、また敗戦後は冷戦によりベルリンの壁で分断。そして1989年の突然の壁崩壊から、ドイツ再統一。ベルリンは、ドラマチックな大事件を次々に経験してきました。激動の20世紀に翻弄されたこの街は、ドイツの現代史を知るのにぴったりな場所なのです。

●ナチス時代の記憶を伝える負のモニュメント

ヒトラー率いるナチスドイツが、人種主義(人種間に根本的な優越の差異があるとし、人種差別を正当化するというとんでもない思想)を掲げ、ユダヤ人、有色人種、ロマ、同性愛者などを迫害したことはよく知られています。その犯罪への反省を示し、その悲惨さを物語るモニュメントがベルリンには数多くあります。 

まず紹介するのは、ナチスのユダヤ人撲滅政策を統括する中枢(ゲシュタポ、親衛隊)が置かれていた《テロのトポグラフィー》です。写真と解説文により、その歴史と犯罪を詳しく展示していますが、処刑の場面や死体の山など目を覆うような残虐さを示す写真が多く、見学後は精神的にどっと疲れます。私が一番印象に残った写真は、ナチズムに抵抗する行動をとったと疑いをかけられた市民が辱めを受けるもので、それを見る観衆たちのニヤニヤした顔が忘れられません。数々の残忍な行為は、ナチスの罪であるのはもちろん、ナチスを熱狂的に支持していた国民の罪でもあると印象付けるものでした。

そして、お次は、ベルリンの象徴ブランデンブルク門のすぐそばに、様々な大きさの長方形の石が延々と並んだ《ユダヤ人犠牲者記念碑》です。多くの人の目に触れるよう、ベルリンのど真ん中に立てたそうです。その地下は情報センターになっていて、ユダヤ人の虐殺の様子から、犠牲者の名前や手紙、家族などの個人的なものまで展示されています。ユダヤ人犠牲者は数百万とも言われていますが、その一人ひとりに生活があり、家族がいたという当たり前のことを改めて知らされます。

ユダヤ人犠牲者記念碑
ユダヤ人犠牲者記念碑

 

ちなみに、この情報センターも、テロのトポグラフィーも、無料で展示を見学することができます。そして、ナチスの行った行為を包み隠さず展示しています。日本には、戦争被害者としてのものはありますが、加害者として自国の行った行為を示すモニュメントはあまり聞いたことがありません。ドイツの歴史教育は、現代史を重視し、ナチス時代の加害の歴史には特に十分な時間をとっているそうです。ドイツと日本では、取り巻く状況が違うので、単純にその歴史観を比較することはできません。日本の歴史教育では、現代史がどうも軽視されているように感じます。学校の授業の現代史といえば、卒業間際に慌てて教科書をざっと流し読みした程度というのが定番ではないでしょうか?今につながる現代史を重視するというドイツの歴史教育に、日本も学ぶところは多いように感じます。

●ベルリンの壁による分断

戦後、ドイツは戦争に勝った連合国(米・英・仏・ソ連)に分割占領されます。今後のドイツをどう復興させていくかと話し合ううちに、イデオロギーの異なるソ連と米・英・仏の意見は対立し、ドイツは東西二つの国に分断されてしまいました。 ベルリンはソ連が主導する東ドイツに位置しますが、首都であることを理由に東ドイツに属する東ベルリンと、西ドイツに属する西ベルリンに分けられてしまいました。アメリカの援助を受けた資本主義の国・西ドイツは言論の自由が保障され、経済的にも順調に発展して行きます。一方の東ドイツはソ連にならい社会主義をとり、個人の資本(農地・商店・工場・資金など)は没収されて国有化され、独裁政治により政府に反対する者は抑え込まれ、言論の自由はありませんでした。広がる経済格差や政治体制の不満から、西ベルリンへと脱走する東ドイツ人が増加しました。それを阻止するために1961年、東ドイツが作ったのが「ベルリンの壁」です。

イーストサイドギャラリー

イーストサイドギャラリー

通りに沿って壁が1.3km続く《イーストサイドギャラリー》や、東西ベルリン間の国境検問所《チェックポイント・チャーリー》は、壁にまつわる観光名所として、たくさんの人々で賑わっています。共産国のミニタリーグッズを売る土産物屋が立ち並び、お金を払えばソ連や米国の軍服でコスプレをした人と記念写真を撮ることもできます。かつては、銃を肩から提げた東ドイツの国境警備兵が鋭い目つきで警戒する、緊張感漂う場所であったはずですが、今ではその雰囲気は完全に失われており、多少興ざめしました。かつて壁があった辺りには、まだ空き地や廃墟が存在する少し不気味な風景も見られますが、すっかり観光地化された歴史の遺物を見ると、もともと同じ国で同じ言葉を話す民族が、壁と鉄条網で隔てられていたという悲劇は過去のものになったんだ、と実感できました。前述の《テロのトポグラフィー》の敷地内には、落書きがされておらず、崩壊時に空いた穴や鉄骨が生々しいベルリンの壁が一部残っています。個人的には、侘しいこちらの壁の方が心に訴えるものが多いように感じました。

●消えてなくなった東ドイツという国について知る

1980年代後半、東欧を支配していたソ連のゴルバチョフが民主化を進めたことから、東欧各国で共産党支配に反対する運動が盛り上がり、東ドイツの人々も自由に旅行できるハンガリーを経由して西側に逃げ出したり、激しい反政府デモを繰り広げたりするようになりました。そうした中で、1989年ついにベルリンの壁が崩壊し、翌年東西ドイツが統一を果たしました。統一と言っても、存続する力のない東ドイツが西ドイツに編入される「吸収合併」という形をとったため、東ドイツという国は消滅してしまったのです。

そもそも、東ドイツとはどのような国だったかというと…、社会主義の国です。それはみんなが国営の企業や集団農場で働いて、平等にお給料を貰うので、失業も貧富の差も無く、等しく幸せになる国家を実現させることを理想としていました。しかしやはり人間は自分勝手ですから、働いても働かなくても給料が同じなら労働意欲は失われるし、企業同士の競争もないから技術が向上しない。よって、人々は最低限の生活は保障されているけれど、等しく貧乏。政府が国民の全てを管理するので国民に自由は無く、「理想の実現のため」と、政府に反対する者を粛清し、密告を奨励しました。またその弱みを見せないよう、「この国はとてもうまくいっている」というように国民にも外国にも装い、真の情報は公開されませんでした。民主主義の国に生まれた私たちにとっては、ドイツの半分が少し前までそんな国だったなんて、なかなか信じられません。東ドイツに抱くのは、ちょうど私たちの多くが北朝鮮に対して持つ、理解し難い恐怖やら不安の混じった印象と似ています。

ベルリンには社会主義国・東ドイツの面影を残す場所がたくさんあります。まずは、旧東ベルリンの中心地、《アレクサンダー・プラッツ》。東ドイツの威信をかけて作られたという巨大なテレビ塔がそびえ、周囲にはタイムスリップしたかのような古臭い建物がならび、片隅にはなんとも奇妙なデザインの「世界時計」があります。そこに記されている都市名を見ると、東京、ソウルを抑えて先頭には平壌が…。

奇妙な世界時計のある広場

奇妙な世界時計のある広場

そのアレキサンダー・プラッツからまっすぐ延びる《カール・マルクス・アレー》は、幅は90mでとにかく広く、沿道には無表情で威圧感のある巨大な建物が立ち並んでいます。いかにも軍事パレードが似合いそうな通りで、以前テレビ見た平壌の街並みとダブりました。そこは人通りも少なく、集合住宅と思われる建物でも、花で飾られたバルコニーなど皆無で生活感が全く無く、少し不気味に感じます。 

ベルリンの壁が崩れた時、壁によじ登って涙し、歌を歌って喜びを分かち合い、大きな希望を持っていた東ドイツの人たち。しかしその後、競争力のない旧国営企業は倒産し、失業者が街にあふれ、無料だった病院も有料になり、今までと全く価値観の異なる資本主義の世界に適応できない人もたくさんでてきました。西側の人々から見れば、東ドイツは「お荷物」で「時代遅れの国」にうつったことでしょう。そんな彼らに見下される屈辱感を持ち、「憧れの豊かな西ドイツ」に幻滅した旧東ドイツの人々にしてみれば、旧東ドイツ時代を「昔もそう悪くなかった」と懐かしむようになるのも自然の流れだったのかもしれません。そんな旧東ドイツ(DDR)時代の日常スタイルを見ることができるのが、《DDRミュージアム》です。

旧東独の人々の生活を見ることができるDDRミュージアムの展示物

旧東独の人々の生活を見ることができるDDRミュージアムの展示物

館内には、当時のチープでレトロな日用品やファッション、テレビCM、市民の居間を再現したものなどが展示されています。とても混雑していますが、引き出しや戸棚を開けて展示物に触れたり、旧東ドイツの国民車トラバントに乗ることができる体験型ミュージアムなので、子供も楽しめるかもしれません。全裸でテニスをしたり、海水浴を楽しむ東ドイツの人々が写真展示されているのには驚きました。スッポンポンで活動することは、普段抑圧されていた市民による自由な世界への解放を意味するそうです…。また、興味深かったのは、女性の社会進出は旧西ドイツよりもかなり進んでおり、保育施設など女性が働き続ける環境もしっかり整っていたということです。戦争で多くの働き盛りの男性を失ったとことに加え、市民平等を謳う社会主義のイデオロギーに従うものであったようです。暗くネガティブなイメージの多い旧東ドイツですが、あまり豊かではなくとも工夫して家のインテリアをかわいくしてみたり、裸で開放的な気分になったりと、一般の市民は案外楽しんで暮らしていた様子を垣間見ることができる展示が多々あります。

しかし、一方で、当然のことながら、人々の自由が抑圧されていた社会主義時代の負の展示物も見ることができます。その代表的なものが、社会に密告者を張り巡らせ、政府に反対する勢力がないかを監視し続けていた秘密警察(シュタージ)です。

収容所内の様子

収容所内の様子

国民の10人に1人がシュタージの協力者と言われており、盗聴や盗撮など手段を選ばす、人々の言動を逐一報告していたということです。職場や学校には必ず協力者がおり、親しい友人や家族でさえ、密告の対象であったとか・・・。詳しく知りたい場合は、《シュタージミュージアム》や、そのシュタージが容疑者を拘留し、取り調べや拷問を行った《ホーエンシェーンハウゼン刑務所》を見学されることをおすすめします。(ただし、説明がドイツ語ですが…)

ベルリンのには暗い記憶がとても多く、負の遺産無しには語れない街です。ここにあげた場所を全部回ると、それだけでぐったりしてしまいますが、こうした、ドイツの負の歴史をみつめることは、とても大切なことではないでしょうか。ベルリンには、アート鑑賞やお買い物、緑豊かな公園やオシャレなカフェなど楽しい気分になれる見所もたくさんありますので、うまく気分転換しながらバランス良く観光し、ぜひ、ドイツの現代史について、理解を深めていただければと思います。

リポーター TOMOKO

世界史大好き。特に絶対王政の時代が好きだが、ベルリンへ行って以来、現代史にも夢中。趣味は漫画。目下、木曜日のモーニング発売日が生きがい。一児の母。ドイツ在住4年目。

 

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