ヒサコラム 離婚後の子どもの監護 ー子どもの視点はどこに?ー

20150227-015749.jpg結婚した人になら、一度は頭によぎるであろう「離婚」の二文字。。。先日、日本で離婚後の子の監護を巡る、なかなか画期的な判決がでました。

裁判の内容を簡潔に説明しますと、原告は父親。夫婦は、離婚の際に、親権者は母親。父親は、子どもと月1回、子どもと会える(面会交流)という取り決めを行っていました。しかし、その後、親権者である母親が子どもと父親との面会交流を拒絶。子供と会うことができなくなった父親が、親権者変更を求め、裁判所がそれを認めたというものです。(出典: http://sp.mainichi.jp/select/news/20150223k0000m040104000c.html )

どういった点が画期的かというと、

◯監護するのは母親でなければならないという偏見がない
◯別居/離婚後の子どもの親権を「取った者勝ち」の傾向にあった現状から脱する希望がみえる

という点です。私は今まで子どもに会えずに悲しみ苦しむ父親たちのインタビューをしてきましたが、それは計り知れない辛さです。想像できますか?

自分の子供に会えないなんて地獄です。生きた心地がしません。彼らが口にするのは、日本の法や裁判は全く公平性に欠け、何も国民である自分たち(子ども含)に幸福をもたらさらないということです。子どもと会うことを拒否する母親が守られ罰せられない社会システムが存在しているとこを皆嘆いていました。

日本の離婚後の子どもの監護についての法律は、とても未成熟なもので、実際、親権者を決めてはい!終わりということがほとんどです。その根底には、『一度離婚したら、夫婦は“他人”になる』という価値観が、まだ根強くあるということがあります。離婚後の細かい取り決め、財産だけでなく、子どもの監護についても強制している他国とは違い、すべてが当事者任せなのです。当事者たちに任せすぎて、感情的な親の意見が、そのまま子どもの監護の取り決めになったりします。

そこには子どもからの視点というものがまったく欠落しているのです。

数年前に少し法律の文言が変更され、面会交流の取り決めについて触れられるようになりましたが、マストじゃない。してもいいよ的な、ごはんでいう沢庵的位置づけです。そう、あってもなくてもいいという当事者(親)まかせなのです。

翻って、ドイツでは子ども権利という視点で、1997年に法律を根本的に改正しました。キリスト教大国のこの国ですら、離婚しても、両親は共に親権を持ち(親権という言葉自体、上から目線なので親権という言葉も変更し、監護(配慮)になっています)、子どもにとって、親は一生親であり続けるというのが基本概念になっています。共同監護といって、離婚後も日本でいう親権を両親が共に持ち続けるのです。再婚してもです。一方、日本は基本的には単独親権が原則。離婚後にどちらか一方の親しか親権が持てないのです。

日本でもようやく、このような画期的な判決がでましたが、こうしたドイツをはじめとした西欧諸国の制度と比べると、まだまだ大きく後れを取ってるといえるでしょう。

この単独親権という根本的な概念を変えない限り、結局子どもを両親で取り合うことになるのです。子どもを取り合うというのはどういうことか。。。子どもにとっては、両親は、自分の元です。どちらか一方からではなく、両方のDNAを受け継いでいるのです。そのどちらかが親でなくなるということは、『パパ』と『ママ』から成っている『自分』の人格ひいては存在そのものを引き裂かれるということです。そのことで受ける心の傷はどれほどのものでしょうか?子どもの自己アイデンティティーはグチャグチャになり、結果、自己評価が低くなるという弊害がでてしまうことも多いのです。

日本でも一日も早く、離婚後の共同監護ができるような法整備、と制度改革がそして、人々の意識改革が進むことを祈ってやみません。以上、管理人ヒサコの熱い独り言でした。

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