ヒサコラム 離婚後の家族のあり方ー窪塚洋介のゴシップ考察

15539885-男性と女性は彼らの家を半減させます。離婚のイラスト

「窪塚洋介、元妻と息子と現恋人PINKYと一緒に宮古島へ旅行」(出典http://girlschannel.net/topics/436178/)

かなりの芸能ゴシップからの引用で憚られますが、ここに日本での家族問題が如実に表れているので、敢えてこのゴシップを引用することに決めました。

この芸能ゴシップは、芸能人の窪塚洋介氏の家族を含む夏の旅行の写真がツイッターでアップされ、それが物議を醸し出しているというものです。その写真に写っているのが、離婚した元妻とその妻との間にできた子ども、友達、そして現在の窪塚洋介の彼女であったということです。また、それに関する本人のツイッターのタイトルが、「時代はPINKY(今の彼女)and NON(元妻)フォーメーション」とあり、ぶっ飛んでる感は否めません。元妻と今カノ、そして子どもも一緒に旅行というのは、現在の日本で一般的家族観を鑑みると、社会規範から逸脱したものとして読者から非難が殺到しました。

読者からのコメントは「子どもがかわいそう」「頭がおかしい」「わけがわからない」というマイナスの意見が大半だった模様です。私見としては、多少ぶっ飛んではいますが、非難するには当たらないゴジップだと思っています。むしろ、子どもが両親に会えることができ、みんなに囲まれ愛されて育っていることは、親子関係を軸とする、アリな家族のフォーメーションとしてポジティブな印象を受けました。

オトナの関係を中心とした日本の家族観

一見どうでもいい他人の家族ゴシップですが、ここには日本の家族法を含む社会問題がひそんでいます。マジョリティの意見である「子どもがかわいそう」というコメントですが、何をもってしてかわいそうといって言えるのかを考えてみると、自分の父親と母親の他に父親の彼女が同席するというのは、子供が混乱してしまうということを想定し、かわいそうだといって非難しているように見受けられます。また「頭がおかしい」系の意見に関しては、元妻と今の彼女が一緒に旅行できるというのは、お互いどういう神経をしているのか、そもそもその状況を作り出している窪塚本人は何を考えているのかといった2つの非難に分けることができます。とくに後者は、親の都合による男女関係を中心に考えているために起こる非難であり、夫婦間(男女間)を軸に据えた家族観が土台になっています。そう、このヨコの関係(夫婦間)を中心に据える家族観、それ自体が現在の日本の家族法の問題点を改善するにあたり大きな阻害要因のひとつになっているのです。そう、日本の家族法も家族観も、まだ親子の関係よりも、夫婦関係を中心に据え、子どもはその付属物のような扱いが容認されているのです。窪塚氏批判には、そんな家族観が反映されているのです。

ドイツを含む諸外国では離婚後も婚姻中と同様に両方の親が親権を持ち続ける共同親権を法律を定めています。ドイツでは、1997年に子どもの権利そして子の利益を一義的に考慮した抜本的な家族法改正が行われました。親の権力性を排除するために、日本の「親権」と同様な言葉「親の権力(elterliche Gewalt)から「親の配慮(elterliche Sorge)という言葉に置き換えられました。全面的に親が権利主体ではなく、子どもを中心に据えるというものへとシフトさせたのです。その根底にあるフィロソフィーは、親の離婚は親の勝手な問題であり、離婚しても子どもにとって親は永遠に親であることです。だからこそ、離婚しても「子どもの権利」であり「親の義務」として、どちらの親も子どもに愛を注ぎ、関わり続けることが法制化されたのです。離婚後も両親と関係を持ち続けることこそが、子にとって大切だという考え方です(詳しくは二宮周平「家族と法」2007年 岩波新書)。

離婚は縁の切れ目なのか?

翻って日本はどうでしょうか。日本の家族法では、親が離婚すると子どもの親権は片親だけが持つという「単独親権」が規定されています。最近の法改正に伴い、面会交流(離婚後に別居している、あるいは親権を持たない親が、子どもと会うこと)が明文化されましたが、あくまで任意でできるというのが現状です。多くの場合、面会交流が継続的に行われていても、どちらかの親が再婚しようものなら、子どもと別居親との関係は断たれるケースが多くみられます。その根底にあるのは、子どもは親権者の付属物的な扱いです。家族というものを親子を中心に考えていれば、親が離婚しようとしまいと、親が再婚しようとしまいと、それに関係なく子どもは両親に会い続けるべきなのです。なのに、離婚法までもが離婚後には、片方の親しか親権を持てないだとか、親の勝手な都合である離婚によって、親子関係を断つよう法が仕向けているのには、納得がいきません。離婚後に親子の交流がなくなること、再婚によってさらにそれが断たれることを法が許容しているのは、法の欠陥であり、離婚したからといって片方の親を子どもから奪うことは、子どもの権利を踏みにじる行為に他ならないのです。

これこそが歪んだ核家族の形であり、現在の家族における大事な問題だと思います。核家族を中心とする近代家族がマジョリティ化した歴史はまだ浅いにもかかわらず、それがあたかも普遍的なものであるかのように存在しているのです。窪塚氏のこの一件は、この普遍的であるかのような家族観に異を唱えるものであり、少し進んだモノの考え方と捉えることができます。窪塚氏への一般的批判をみると、一般的な日本の大人中心主義的な核家族のあり方を踏襲したものであり、これは逆に子どもが両方の親とつながり続けることを拒否する価値観の押し付けですらあります。

子を家族の軸に据えるということ

先日、ドイツ人友人の結婚式でこのような光景を目にしました。花婿側にはふたりの女性が母親の席に座っていたのです。後から聞いてみると、ひとりの女性が生みの母であり、もう一人の女性が、母親と離婚後、最近父親と結婚したばかりの女性だといいます。市役所での結婚セレモニー中、花婿の父親と最近結婚したばかりの女性は、花嫁花婿に劣らず相当イチャイチャしておりました。私はそちらにどうしても目が行ってしまいましたが、誰もそれを気にとめる人はいない様子でした。少なくとも表面的には。。。

また、小学校の入学式に、生みの母親と継母が一緒にお祝いに来ていました。子どもをお祝いしたいという大人たちを排除する理由はどこにもないはずです。こういう光景をたまに目にする私にとって、窪塚洋介氏の子ども中心主義的な家族観はアリだと思います。

文責 管理人ヒサコ

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