ヒサコラム 近所に難民たちがやってくる!

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巨大なクレーンで土台を数日中に作り上げるというドイツではあり得ない仕事のはやさ!

我が家から200mほどしか離れていないところに広い草地があった。2ヶ月ほど前に急に草木が刈られ、数日もすると広大な平な大地になった。こんな急ピッチでドイツ人が仕事をするなんて何かあるかもしれない。。。その思いは消えず、近所のママ友に何が建設されるんか聞いてみた。私の勝手な妄想では、マンションかスポーツ施設だと思っていたのだが、的は大外れ。

答えば・・・難民の仮住居施設。

私は眉間にシワをよせて「本当に?(✖️10回くらい執拗に)難民の人たちが来るの?」と咄嗟に返答してしまった。難民申請を待つ人たちが2週間ほど滞在するそうである。

私の純粋なリアクションは、あまりポジティブなものではなかったし、正直、よそ者が来る恐れみたいなものを抱いた。よそ者に対する嫌悪みたいなものを少なからず抱いた自分がいたことは否めない。具体的には、その辺に平気でゴミを捨てて、街が汚くなるのではないかといった偏見に満ちた不安であったり、イスラム教の人々を受け入れるという異質なものへの恐れであった。自分も外国人のくせに。。。

私はドイツ人たちもそんな感覚でいるのだろうと思いながら、話を進めていくと、どんどん私とドイツ人ママたちとの難民受け入れに対する温度差を感じた。そして、どんどん考えの違いが浮き彫りになっていった。

ドイツ人ママ友1「夫とも話しているんだけど、難民の施設ができたら、ようこそドイツへっていう思いを伝えに、コーヒーやケーキを持ってお祝いしに行こうと思っているんだけど、一緒にやらない?」

ドイツ人ママ友2「ぜひやろう。バーベキューとかも提案したいんだけど。どう思う?」

ドイツ人ママ友3「なかなか個人では厳しいみたいだから、幼稚園の父母会とか団体で交渉する方がはやいよ」

このノリでみな話している。さすがに私はこの場の雰囲気を察し、難民の施設へのポジティブな働きかけに同調した。

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何台ものトラックで運ばれてくる居住用コンテナ。我が家の前にもズラリ!かなりのリアル感です。

その後ドイツニュースでは開口一番、ドイツの難民受け入れの増加とその現況について話していることに気づく。意図的か否かは別として、ドイツ人は一丸となって、人道的に苦しんでいる人々、特にシリアの戦争難民を他国の経済難民とは一線を画してを優先的にドイツ国へ難民として受け入れようという空気が作られている。それは、日本が東北震災と福島原発事故後、絆と題して日本が一丸となって人々を助けようと鼓舞する空気に違いものを感じる。

では、なぜ、ドイツ人たちは、難民をこんなに寛大に受け入れるのだろうか。概して言われているのは、ドイツという国は、受け入れるだけの経済力があることを対外的にアピールし、欧州の中でもイギリスやフランスよりも、優位な位置に鎮座できるということ。もちろん、これも一理あると思う。

しかし、個々人レベルで身を持って感じることは、人々の精神である。戦後に教育を受けてきたドイツ人たちは、第一次世界大戦後のドイツ近代史をきちんと学んでいるのだ。ドイツがしてきた事に対して、ドイツは非を認め、もちろん政治的に経済的に償ってきた。その償いの精神が、戦後教育を受けてきたドイツ人に根付いていると感じる。人道的というのもあるけれど、むしろ、「償い」の精神の延長として、これからは誰も迫害しないし、助けている人を受容していこうという精神へとつながっている。一部のネオナチの思想を除くと、このような精神が国民的精神へと昇華されていると感じる。

外国人であり日本人であるワタシは、毎日キューピッチで建設が進む近所の施設を横目に、少しずつ意識が変わってきた。SNSや子供の学校から回ってくる「不要になった鍋などの日用品を難民の生活に役立てるための寄付を募る」というものに、目が止まるようになった。また、子供達にもこの状況を説明できるようになった。戦争で自分の国に住めなくなった人たちが、自分の国を捨てて私たちの家の近所に来ること。彼らは決して貧しいのではなく、すべてを捨ててくるから何も持ってきてないこと。だからこそ、みんなで助けてあげようと。週末も地下室にあった使っていない鍋や子供の靴、おもちゃなどを箱詰めした。それを見て、子供も使っていないおもちゃやぬいぐるみを私に差し出した。

10月にやってくるご近所さんにになる方たちを笑顔で迎える準備が、我が家の中でも整いつつある。

文責 管理人ヒサコ

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