コロナ禍で子どものホームスクーリングが実施された時、その政策の前提となっているのは「家には当然、子どもの面倒をみる親がいるということ」である。その「親」というのは、「お母さん」であると多くの人が思い込んでいる。お母さんが家にいるという前提で、そこに疑問の余地を抱く事なく、教育政策が作られており、立案側のジェンダーバイアスが見事に反映されている。

夫が飲み会に行く時は、夫は残していく家族に夜ご飯作っていかないし、出張の際も同様だ。しか私は誰に頼まれるわけでもなく、子どもを置いて出かける事への申し訳ない感から、自分が食べるわけでもない夕飯をせっせと作っていく、、、この罪悪感の正体こそが脳内便秘の要因である。
それは、社会に蔓延り、そして私の脳内にも蔓延るジェンダーの非対称性なのだ。
家族社会学者である山田まさひろさんが「モテる構造ー男と女の社会学」の中で使っているキー概念で、このジェンダーの非対称性は、仕事がデキる男はモテるのに、仕事がデキる女がモテるとは限らないという命題をうまく説明してくれている。山田氏が述べるように、女らしさ、男らしさという性別による「らしさ」規範が社会に存在しているために、規範からはみ出す行為、つまり社会的逸脱が起きてしまうという。

違う山田だが、生まれたばかりの赤ちゃんを置いて飲み屋にでかけた女優の山田優は、メディアに母親失格だとかバッシングを受けていたのを思い出す。こうやって、我々が持つジェンダーの非対称性を、社会はメディアを通して正当化し、強化させていく。
このような価値観を私の代で断ち切ることが、唯一の解決策だと思っている。この罪悪感をまずは社会的構造と過去の産物のせいであることを認識し、自分を少しでも罪悪感から解放してあげる。そして飲みにいく友達を増やす。これに尽きるのだ。そうやって、草の根レベルで改革を起こして自分の人生を楽んだもん勝ちなのだから。
文責 りんごの木管理人 ヒサコ